仏教は、百済の聖明王より欽明天皇へと伝えられたと日本書記は伝えられていますが、それでは庶民の信仰の対象はどのようなものだったのでしょうか。

それはやはり、山であったり、大岩であったり、自然の霊力に対して、ある時には畏れを抱きつつも、信仰を深め、庶民の心のよりどころとなっていたのです。

たとえば、日本の民俗で全国各地に調査をすると柳田國男の研究により明らかになっていますが、山の神は春になると五穀豊穣を願い、田の神になり、秋になり、収穫が終わると山の神に戻るという伝承が日本各地に残っています。

さらには大きな岩への信仰ですが、こうした岩には神が降臨すると信じられていて、私の故郷の秋田の奥まった村の中に大きな岩があり、岩の隅っこに小さな祠がございました。

このほか、巨木信仰も同様なものといえましょう。巨木も大岩も信仰になったのは、精霊信仰に基づくものであり、人と神が結ばれる場所、天と地上を結ぶものであり、いずれも神が降臨すると信じられ、大切にされてきました。

もちろん、こうした精霊信仰や原始信仰が文字で伝承されたワケでは決して無く、このような信仰は、はるか昔から伝えられ、それが昭和30年代の田舎にも残されていることから、原始信仰のことが想像できると言うことなのです。

その原始信仰をもとに、神社が各地に建立されました。やはり、その場所は、巨木があり、何らかの信仰の対象となった場所が多いと推察されます。

日本には八百万の神々がおり、ある時は災いをもたらしますが、ある時は人々に恵みをもたらすという、少し矛盾した存在ですが、畏敬というコインの裏表の存在のような、そうした信仰が人々に根付いていた、それが仏教以前の庶民の信仰対象だったのです。

それは恐らく、弥生文化よりもまだ前の縄文時代から神々への信仰という概念が存在していたでしょう。神社の建立も古墳時代から進められ、外国から来た渡来人も積極的に日本の神々の信仰を受け入れ、渡来人・秦氏も「伏見稲荷神社」や「松尾神社」の建立を進めます。

一方、日本も百済より伝来した仏教の信仰がはじまりますが、その前に、蘇我氏と物部氏、つまり崇仏派と排仏派の対立に触れておかなくてはなりません。このような歴史があったことは御仏も神々も決して望んだことではないのですが、日本の当時の豪族たちの勢力争いが根本の理由でした。