さて、この時代、もう1人仏教について忘れてはならない人物がおります。藤原光明子です。正式には、聖武天皇の皇后ですから、光明皇后と言うべきかも知れません。この方も夫である聖武天皇を生涯にわたって支え続けただけでは無く、仏教思想に基づいて庶民の救済を行ないました。

実は、皇后はそれまで、不文律として、皇族しかなれないという考えがありました。それを藤原4兄弟の力で、藤原光明子を皇后にすることに成功します。

光明皇后は大変開明的なお方で、東大寺や国分寺の建立を進言し、その進言を聖武天皇が受け入れ、詔として発出いたします。聖武天皇が崩御した後、その遺品を保管するための正倉院を建設したほか、奈良時代における寺院建立に深く関わっています。

そして、その光明皇后ですが、仏教思想をただ書物を読むだけでは無く、実践も行ないました。もちろん、中国の漢詩、史書にも通じ、仏教思想における理想を持っていたのは間違ありません。

まず、「悲田院」は、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設で聖徳太子が最初に建設したとされていますが、本格的に施設は光明皇后が建設しました。日本ではこれが収容型施設のはじまりといえる施設です。

続いて、「施薬院」は、今で言う医療施設ですが、これも光明皇后が提案し、慈善事業を行なったのです。諸国から献上させた薬草を無料で貧民に施したのです。

このような積善行為は、すべて仏教への信仰から発露であり、御仏への厚い信仰心が慈善事業行なった大きな動機と言えましょう。

なお、史実ではありませんが、光明皇后にはこのような伝説が残っています。

皇后は自ら率先し、病に倒れている人を看病されていたのですが、今で言うライ病患者に対しても深く同情なされ、膿をこすったと言います。これは、仏の前ではすべての人々が平等であるという平等思想から生まれたもので、誰に対しても同じように接しなければならないという大変徳の高い思想から起因する行為でした。

そのライ病患者は、光明皇后から、膿を出された後、仏となって天に舞ったという逸話が残っております。