民俗学では、日常は、「ケ」、非日常は、「ハレ」の世界です。葬式は、まさに非日常の世界ですから、「ハレ」の世界です。日本の農村社会では、こうした「ケ」と「ハレ」を繰り返すのです。

日本の仏教の本質は、救済の道を説くとともに、葬式を儀礼化し、それが日本仏教の大きな役割を果たしたことは見過ごせないのです。

もし、様々な場所に点在する寺院が存在し、葬式を執り行う役割がなければ、日本に仏教はこれほどまで普及することはなかったでしょう。

それは、名も無き僧侶、いわゆる「聖」と呼ばれた人々の役割が大きい。その方々は、貴族や大名、特権階級の人々が独占していた仏教信仰を庶民に解放したことです。

同時にその土地にある習俗と見事に融合し、お互いに反発することがなかった。日本のこうした「聖」、後の僧侶たちも土地の習慣を積極的に説法に導入し、人々の心を掴んだのです。

ですから、日本の仏教と他国の仏教の教えが場合によっては違うことが多いのですが、こうした原理主義にならなかったことが、安定した国づくりに成功したと思うのです。

日本各地を歩くと、曹洞宗の僧侶がお経を読み終わった後、信者が念仏百万遍を唱えるところもあり、曹洞宗と浄土真宗が融合した地域もあります。

不思議と思いつつも、日本の葬式はこのようなものなのでしょう。